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2011年3月13日 (日)

東日本大震災そのとき

金曜日の大地震以降、自宅でも仕事場でも、外出以外は、ずっとテレビを付け、メールをチェックし、新しい情報を取るようにしています。

繰り返される映像、音声。。本当に辛くなります。 原発のことも気がかりです。

実は、地震の前日、NPO法人・家づくりの会で地震災害の勉強会をやったばかりでした。
耐震リフォームの大事さや、新築の構造強度など、建築家仲間で確認しあったばかりでした。

地震当日は、フェリカの教室で授業をしていました。
大変怖い思いをしましたが、“慌てず騒がず”、揺れがおさまった後にビルを退出することができました。
教室はビルの3階にあったので、揺れが小さいうちはすぐにおさまると思って避難するようなことは生徒に言いませんでした。約30人の生徒がパニックになって、階段で将棋倒しになることが怖かったからです。
揺れはなかなかおさまらず、段々強くなり、震度4ぐらいかなというところで、教室後方にある避難バルコニーの扉を開放してもらい、私は教室入口の扉を開放しました。
倒壊せずとも、建物の歪みで扉が開かなくなるケースがあるからです。

その後も揺れは続き、震度5強を記録しました。
揺れがおさまったところで、授業を切り上げ、生徒さん全員が怪我なく教室を退出してもらいました。

生徒さんは「山手線止まってるってさ。お茶しよ」といいながら、あっけらかんと帰っていきました。
私は他の先生と事務局に戻り、震災情報の収集。夕方5時まで事務局にいましたが、電車がすべて運休している事態は変らず、池袋から狛江まで5時間をかけて、徒歩で帰宅しました。
道中、世田谷通りの車はたいへんな混雑で動かず、都心の被害は大きくなかったにもかかわらず、大都市の脆弱さというか、都市機能が完全に麻痺していることをまざまざと実感しました。
生徒さんの中には私より遠いところから通っている人もいたので、どうしたのか気がかりです。風邪でもひいてなければいいのですが。
(白崎泰弘)

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